日本初のトランジスタラジオ

TR-55は日本初のトランジスタを使ったスーパーヘテロダインラジオであることは有名だが、それまでのラジオと言えば真空管が当たり前の時代、初のトランジスタラジオ開発に苦労していたのはSONYだけではなかった。

小型の中間周波トランス、薄型のバリコン、高容量のケミコン、ベークライト基板からケースまで、それまでには無かったパーツを数々のメーカーが設計、開発し協力するところからTR-55は始まっている。

そういう意味ではこの記念的製品はSONY一社の独力で出来上がったものではなく、当時の日本の物造り職人達の結晶と言っても過言ではない。

 

 

ケース裏を開けたところ。

裏蓋に回路図と電池の入れ方の説明などを書いた紙が2つに折って貼り付けられている。

場所的に電池の液漏れ汚損が避けられないので、紙の綺麗な状態の個体はあまり多くないと思われる。

ちなみに回路図紙はオリジナルですがシリアルナンバー紙は汚失したのでオリジナルではありません。

 

 

選局ダイアルとバリコンへのリンケージは金属プーリーを介し減速するのでダイアルを左に回すと針は右へ回るというトリッキーな構造、真空管ポータブルラジオでは時々見られる。

 

 

ケミコンはニチコン、エルナー製 トランスは田村製作所

フェライトバーアンテナは当時録音テープ生産していたSONY仙台工場にて開発。

前モデルで未発売に終ったTR-52の失敗を元にフェライトアンテナは受信感度向上の為に横置きの大型扁平にされた。

 

 

以下こんなドンガラなTR-55の写真を出すのは私が初めてではないだろうか。

快挙なのか暴挙なのか(笑)

ケースは割れ難くする為、ゴムを混ぜたハイインパクトスチロールを開発し使用している。

色は緑のみ。

 

 

シャーシはポータブル真空管ラジオの頃と同じ構造、同じ造りをそのまま引き継いでいる。

わざわざ重くなる金属シャーシを使うのは、重量級のパーツが多く、それらを直にケースに留めるにはプラスチックの強度が足りなかったからなのか、或いはまだプラスチック成形が複雑な形状を作ることが困難だったのか・・と思うのだが実際どうなのだろう?。

 

 

フォスター製スピーカーG-205と菊名製薄型エアバリコン どちらもTR-55用として開発されている。

 

 

グリルはダイアルパネルとケースにサンドイッチにされている為、グリルを外すには先にダイアルパネルを外さねばならない。

気がつかず外せばダイアルパネルは割れて真っ二つ!

ダイアルパネルを留める細いスリットはケースの残り部材か何かでクサビにされ留められている、割と大雑把。

 

 

ダイアルパネルを裏から見るととても手造りっぽい仕上げ。

色は筆で塗ってます。

 

 

グリルと選局窓を外し、ケースだけの状態。

側面にはハメ殺しにされたバリコンの調整用窓が付いている、この窓は真空管ポータブルのケースにもよく見られる。

選局ダイアル裏にシャーシ固定のネジ穴を持ってくるのも真空管ポータブルと同じ手法。

 

 

ラジオとしてはTR-55が初めてスピーカーグリルにアルミのパンチング板を使用。

なお、当ラジオは経年による錆が酷かったのでレストア時に磨いたのちに再アルマイト処理にて元の様に戻してみました。

ただ、グリルの爪の曲げ直しは折れる可能性が極めて高いのでお勧めしません。

 

 

裏側には外部アンテナジャックとイヤホンジャック。

ジャック部分には蓋がある。

電池ケース内にはセルロイド製の電池保護板が入っている。

 

 

ケースは緑のビニール製

残念ながら経年劣化によりケースが縮んでしまっている為、ラジオをこの中に収めて撮影することができない。

ああ悲し。